その日は仏滅なのですが

先日、10年ぶりに新車を購入しました。やったね!

その納車日を相談していた時、ディーラーの人に「この日は仏滅ですが大丈夫ですか?」と聞かれたんです。私は仏滅だろうが大安だろうが気にしないので、結局その日に納車になりましたが、やはり気にする人もいるんでしょうね。

この仏滅、大安と似たようなケースで血液型、パワースポット、オーラとかがあると思うんです。「私は信じてないけど気にする人もいるんでしょうね」案件。

こういう案件、会話の中で自分から出すことはまずないんですが、相手から出されることはしばしばあります。このときの相手のテンションって結構差がありますよね。

1.相手も信じていない、こちらが気にするか探りを入れるためのジャブの場合

2.相手は信じている、マジで気にしている場合

3.ちょっと気にしているが、はっきり気にしているというと迷信を信じている人になるので「いやいや、気にしてませんけど?」というポーズをとってくる場合

相手の心の中までは分かりませんが、冒頭のディーラーの人は1だと思うんです(もしかして3だった?)。自分も基本的にはここ。

2も別にいいんです。血液型やら星座やらパワースポットやら開運のツボだろうが、私が信じないからと言ってそれが間違っているという根拠もない。それに正しい正しくないより気になる気にならないの方が大事な場面もありますし、そのお気持ちは尊重します。

3が困るんです。この中に、「私も別に気にしてないけど、いいことは信じて悪いことは信じないぐらいのスタンスかな。楽しむ位がちょうど良いっていうか、それ位のことを頭ごなしに否定するなんて心に余裕が無さすぎなんじゃない?」的なポジションをとる人がいるんですよね。

 

キーー!!

いやいや、違うじゃないですかそれは。要するに、

・本当は血液型も星座もパワースポットも六曜も信じている。

・しかし信じているとはっきり言うと「迷信を信じる人なのね」と思われる。それは嫌だ。

・なので表面上は信じていないポーズをとる。

・しかし相手がはっきり否定的なことを言うといやだ(なぜなら信じているから)。

・相手を「そんなこと否定するなんて頭の固い面白味のない人、心に余裕のない人」にすることで自分のポーズを崩すことなく相手を黙らせたい。

ってことじゃないですか。

どっちかですよ。迷信を信じる人と思われるリスクをとるか、相手が否定的なことをいうのを甘んじて受けるか、どっちか。自分で選んでよ。相手を落として解決しないでよ。大人なんだから!!

架空の人物に対してかなり憤ってしまいました。申し訳ありません。ただこういうケース、あるんですよねぇ。

 

ただその反面、こういうことを言わせている、その責任の一端はこちらにもあるとは思うのです。それは信じる気持ちを尊重するよと言っておきながら、「こいつそんなこと信じてるんだ…」という気持ちが、一瞬、一瞬だけですよ、心によぎってしまうんです。皆、その気持ちを態度に出さずに生きているのですが、私はそのポーカーフェイスが下手でちょっと顔にでちゃうんです。これは修行不足の一言に尽きる話で、大変お恥ずかしい。

 

なのでこの話の結論としては、多様性を認め合い、相手を貶めることなく共存しあうためお互い努力していきましょう、ということです。

 

勝手に作り上げた架空の相手と殴り合ったあとに友情が芽生えるという、非常にコストの良い話に仕上がったのではないでしょうか。違うかな?